大師堂の大杉・矢研ぎの石




国道沿いに歩くと、陸橋が見えてくる。
看板(春遠)方向も頭上にみえるが、そこの手前。

目印は国道横に立てられた立て札(写真右下)。

そこの横道を下るとすぐに、大杉が見えてくる。

大師堂の境内に、先祖(地主)を祀る「杉」と「ヒノキ」が
夫婦のように並んでいる。

      周囲 約3.8m  高さ 約32m  樹齢 400年と推定

ヒノキ   周囲 約2.3m  高さ 約30m  樹齢 同上

もともとこの場所が清王(せいおう)部落発祥の地であり、
先祖を地主さんと呼び祠を建て、今も祭られている。

大杉はその宿り木と言われている。

旧暦7月5日を縁日の日と決め、
部落の人はお参りをし、踊りをしていた。

この踊りの晩、焚き火がヒノキに燃え移り、
半分近く焼けてしまった。

しかし枯れることなく元気に育っているのは、
地主さんの精が乗り移っているからだと言われている。
大師堂には 

  ・弘法大師石像
  ・地蔵石像
  ・大日如来木造
  ・阿弥陀如来木造(S63年盗難)に代わり
   観音菩薩石像
が祀られている。



石はHP作者が
「大月の昔ばなし」(大月史談会編)の地図を
たよりに現地で見つけたものであるが、
石の中央に>の形があるので
恐らく、くだんの石であると思われるが
確証はない。

石に目の利く方は是非、
石探しにトライしていただきたい。
(見つかったらご一報を)

矢研ぎの石

清王部落の先祖は平家の落人と言われているが、
石に矢を研いだ跡が今でも残っており、
それにはこのような物語が伝えられている。

ある日みすぼらし身なりをした落人である浪人が、
この川で一心に赤サビた古矢を研いでいた。

そこに通りかかった無宿者が
「そんな矢をいくら研いでも無駄だ。
そんな腐ったような矢では人は殺せまい。」
と浪人をバカにした。

怒った浪人が
「目にもの見せてやる。貴様あの丘に立ってみよ。」
と言ったところ
「殺せるものなら殺してみよ。」
と無宿者は平然と立った。

ところが矢はみごと的中。

無宿者は哀れにも死んでしまった。

この無宿者の死んだ場所は石を積み、
無縁仏として供養されていたという。

白皇神社

石のあるといわれる川